安倍2.0の行方2

 2へ続くと言いながら、前回性急に書きすぎたせいもあって続きを書く気がおこらなかった。そうこうしているうちに、ついに彼の第二次内閣が発足するところとなった。まさに本当の「安倍2.0」がはじまっちゃったわけである。蛇足ではあるが、そのままにしておくのもあれなので続きを書くことにした。

 これはいくら強調してもしたりないぐらいであるが、これだけリーダー論が持て囃される国でありながら、「美しい国」だの「とてつもない日本」だのと、かりに100円貰っても読む気になれないような本の著者とされる人物たちがまた浮上して来るとは・・・。本当に想像を絶する事態である。まるで、流し終わったはずの何かが、ほの暗い「陶器」の底から逆流して来るのを見るかのようだ。我々は呆然とそれを見送る。そして、それらは溢れ出るのである。床をも水浸しにして。残るは果てしない後始末・・・。実際これはまた、彼らのケーザイ政策のもたらす所によっては本当に起こりうるような事態の例えでもある。
 
 さて、改めて閣僚の面々を見ると、凄まじいものがある。「極右」以外の何ものでもない輩が名を連ねている。ところが案の定ではあるが、日本のマスコミは、右翼を右翼と、極右を極右とすら指摘できない有様なのである。なかには、「超保守」の論客なる噴飯ものの言葉を用いたメディアもあったが、そんな人間でも、日本を代表するリベラルらしい朝日新聞紙上では「筋金入りの保守論客」となってしまうらしい。また、何やら中日新聞の一紙面がツイッター上を賑やかせているようだが、有識者にいじらせる、といったノリではなく、ジャーナリズムの正攻法でも弾劾すべきものだろう。

 「危機突破内閣」とは、敷衍すれば、危機を自己演出して国民を焚き付けるにとどまらず、「危機へと理性を突破していく」ということなのだろう。障壁をひとつひとつ打ち破り、最後には本物の危機に陥ってしまっている、こういうことなのかもしれない。「理性の突破」にもっとも必要な事は教育の破壊であろう。首相本人がさっそくこう言っているという。『子どもたちの命と未来が危機的な状況にある。教育の再生は政治の責任』。武道必修化を思い浮かべるだけで十分な話だが、2.0においてはより破壊性を伴うかもしれない。具体的には首相本人を取り巻く、とてつもブレーン達による「親学」の介入や教科書検定における近隣諸国条項の廃止がまずは問題となるであろう。さらに、弱者叩きの政策は、すでにメディアによって麻痺させられている「国民」の倫理の破壊を容易に加速させることであろう。
 
 ようするに、この内閣が目論むところは、敗戦後も解消されるどころか日本に長らく巣食って増大してきた極右政治の総決算のようなものである。が、さすがの彼らも一挙に実現できるものではない。彼らが第一に突破すべき障壁としては来夏の参院選がある。それまでは「安全運転」を心がけるらしい。しかし安全運転といえども、たとえばアベノミクスの凶悪性などは指摘するに余りある問題である。彼らのゴールと言うべき問題にして、主の数年前に失われた「自己愛」を本当に「取りもどす」ための宿願である憲法改正問題は一時的に後退したかのように見える。だがこれも、集団的自衛権とやらの行使との兼ね合いからも、またあてにならない歯止め役の某宗教政党といい、決して見過ごせる問題ではなかろう。ましてや、維新との連携なんかが浮上した場合は何をか言わんやである。

 さらに韓国の親日保守派大統領、朴との連携など懸案事項を挙げればきりがないほどである。また記事が長くなりそう、というか面倒なのでそろそろ結語したい。前回は選挙の結果を受けて性急ながら鮮明な危機意識で書いたものだが、年の暮れでもあり、生活に忙殺されるなかで、自分もそのような意識は薄れがちである。だが改めて、今起こりつつあることは冗談抜きで「危機」であるということを肝に銘じなければならない。そして、年は暮れゆくが、年明けは暗雲に満ちたものとなるだろうということである。年末年始の軽薄かつ糞詰まらないお笑い番組などで、こういった「危機」意識を薄めるようなことがあってはならないということも、また念頭に置くべきことである。

安倍2.0の行方 

 日本型民主主義の惨劇から一夜明け時間もだいぶ過ぎた。以下雑感ではあるが久しぶりにブログを立ち上げザッと書いておく。

 自民の歴史的圧勝と維新の躍進。ついでに例の都知事選。政権選択選挙というが、「有権者」によってなされた戦後最悪の「選択」だろう。あれだけ恥辱にまみれて終わったはずの恥辱のプリンスに全能感を、いや緊張感すら与えてしまうほどの圧勝劇。彼はこれから全力をかけて「取りもどす」のだろう。もちろん「普通電車の座席」ではなくて、美しい思い出のための自己愛を。

 そもそも、ネトウヨや信者を除いてどれだけの人が彼のリアル再チャレンジを予測できていただろうか。かくいう私もさきの自民党総裁選に彼が出ると聞いて嘲笑しか浮かばなかった。自民党の連中もそこまでバカではないだろうと思っていたのである。だが彼らのとてつもなさを過小評価してしまっていた、というか、自民党総裁選の独特の力学で彼が返り咲きを果たしたかと思いきや、あれよあれよといううちにここまで来てしまったという感じである。彼の再権威化からここまで、新聞を含めた日本のメディアは、彼の5年前の政権放り投げを、まるで健康問題にのみあったかのように報じて擦り寄った。まさに現実修正主義を見るかの思いだった。もちろん問題は彼だけではない。当選した顔ぶれを見れば、なんと日本国民に相応の政治家たちであろうか。否政治ゴロだ。

 twitterでも新聞でも大方指摘されているのが、この結果は自民党を積極的に支持したものではない、これは懲罰だ、というものである。懲罰!素晴らしい響きであるが、いったいこのような意識がどれだけ彼を含めた当人たちの箍となるか、はなはだ疑問である。いやすでに早速、この圧倒的な「民意」の付託を受けて、彼らは憲法改正朝鮮学校弾圧へと動き始めているのだ。そして彼らが日本のメディア、まさしく「ロケット」を「事実上のミサイル」と呼んで憚らない類の日本のメディア、と共にこれから作り上げていくだろう既成事実の積み上げはそんなことなど容易に吹き飛ばす力を持っているのである。

 ようするに何が言いたいかと言うと、日本国民なるもののマジョリティは、懲罰と「称して」「事実上」ボクちゃんの人災チャレンジを一丸として是認してしまったというわけである。日本国民は、村上春樹の言ったような「安酒のようなナショナリズム」ではなく、「メチルアルコールのような何か」を選んだというべきであろう。

 さて、これまた指摘されていることだが、この惨劇の一端は小選挙区制という選挙制度にあるらしい。もとが政治改革の意図をもって成立させられながら、実質は某金権政治屋による偽装・金権政治打破でしかなく、さらには日本の有権者なるものの極端な頑迷性だけを不動のものとして、政治の足元を大きく掘り崩すことになったとはなんとも皮肉な話である。システムが人を喰うとは、天皇制しかりだがいかにも日本らしい。しかし制度がどうあれ、都知事選の結果もそうで日本のマジョリティがこの道を選んだという事実には変わりはない。一方で投票率が低かったことも指摘されているが、選挙権すら付与されていない人たちが、これまでも、そしてまさにこれからいっそうこの民意なるものの暴虐に身を曝されようとしているのである。選挙以前の問題ではないか。

 で、肝心のアベ2.0の行方だが、彼はいつものごとく御大層なお題目を並べながら、先に述べたようなことに邁進するであろう。前回就任当初は、中韓を訪問するというリアリスト(?)な面を見せ、錚々たるブレーンたちの憤激を招いたのであったが、ここ最近の、歴史修正主義の扇動に加担するところを見ていると、5年の月日は長過ぎたのか、あるいは例の二枚舌発言を含めて徐々に恥辱に塗れて終わったということが美しい記憶の中では中韓のせいだ!的なことになっているのかもしれない。彼も最初は殊勝であろう。だが首相の椅子に座ってるうちに心地よくなりすぎて諫言に耳をかさず(というかまわりにはすでに諫言する人はいないようだが)、逆ギレしてしまう画が浮かんでしまうのである。人はそんなにすぐには変われないものである。

 また、メディアは彼とその周りの醜悪な政治コントをそのまま垂れ流しつつ、一方ではウヨゲバを誘うような形にもなるであろう。これは希望的観測にすぎるだろうか。あるいは、我らのプリンスはその点だけは進歩していてうまく立ち回るのか。だが今回は、彼がいわゆるアベしちゃうまでに日本社会が最低限保っているようなものでも決壊させるに十分なほどのものが与えられてしまった。

 さらなる惨劇と言うべきは、維新と称する超極右政党の躍進である。仮にアベが内訌や失点で早期にポシャったとしても、マスコミの煽る政治不信、既成政党不信を餌にして、維新のあの、歳をくったほうでないほうのあの男、朝日新聞を屈服させ広報機関のようなものにしてしまった、メディア操縦巧みな政治芸人のあの男が浮上してこないとも限らないのだ。ナチスが政権を取ってから滅亡まで十数年かかったというtwitterの指摘を見たが、あるいはこの喜劇は「元都知事」の人生を含めてもっと長く続くのかもしれない。

 長くなり過ぎたのでいったん置く。twitterやネットでは危機感を煽りすぎるなと言う指摘や、またactivistの人たちを中心に、これは予想されたことで戦い続けるしかないのだという、自分の非力さを含めて横っ面を張られるような指摘もある。だが、本当の危機を危機として認識できなければ闘うこともできないのではないか。あまりにもベタなことしか言えないし、言ってこなかったが、もうこれは退却戦どころか籠城戦だろう。そのうえで非力なものは日常に戻るしかないのだが、やはりカタストロフィが来るのだ、というぐらいの認識は持たねばならないだろう。

(2へ続く 予定)

今さらながら若干の表現を手直し。たぶんこれが最終版。 12/19 00:31